宝石の記憶 - 柘榴色の宝石

【 柘榴色の宝石 】

 貴女と私は、出会うべきでなかったと思う。
 でもね、亞リス。もう戻れないのよ。

◇ ◇ ◇

rabbitラビ ! heyねぇ , wake up起きて ! earthquake 地震よ!」
 目を覚ますと、亞リスがインチキくさい英語でわめいていた。三日月型の揺り篭のなか、私は寝返りをうち、もぞもぞと亞リスに背をむける。意識はまだ半分くらい夢のなかだ。白夜の国で可笑しな動物たちと終わらないティーパーティーをする夢。私の頭部はイグアナで、胴体はシマウマ。ティーポットからは無尽蔵の紅茶。ノックをするたび、味が変わる。隣に座っていたブタとカマキリのキメラはカップを持つのに苦戦して、むかいの食虫植物は大口をあけて笑っていた。
earthquake 地震よ!」亞リスが揺り籠を激しく揺する。じわじわと狂いはじめる三半規管ごし、私は亞リスのドレスの絹ずれを聴く。夢が遠ざかっていくのとひきかえに、シュル、シュル、という蛇の威嚇のような絹ずれが大きくなる。
 私にはちょっとした特技があって、亞リスの絹ずれの具合で彼女の調子がわかる。今朝の亞リスはえらくヒステリィというかなんというか、妙に気ぜわしい様子だ。私の寝床にだけ起こった直下型地震は亞リスの絹ずれの激しさに比例して震度を上げる。私は仕方なく目を開けると、起き上がりざま、亞リスの顔面に頭突きを食らわせた。
「ひどい朝ね、頭が痛い。クラクラする。・・・・・・あら、でも不思議。地震は収まったみたい」
 寝癖をかきまぜて身体をのばし、私は地べたをのたうちまわる震源―――並々ならぬ美しさを持った不思議な旅人、聖川 亞リスを見下ろし、現状、彼女の庇護者である私、ラヴィ・ハートリーの安眠を妨げた罪を問う。
「時計を。いますぐ時計を見せなさい」
 そこまで言うと私は嘔吐した。・・・・・・この特注品の揺り篭は亞リスからの“なんでもない日の贈り物”なのだが、どうにも私には合わない。三日に一回、酔って吐く。
 亞リスは赤く腫れ上がった額を押さえつけながら、私に目覚まし時計を投げてよこした。
「七時!」私は時計を亞リスに投げかえして激怒する。「信じられない。七時に人を起こすなんてどうかしてるわ! 朝の七時ほど不気味な時間はないと言うのに!」
 理不尽だ! と、亞リスが悲鳴をあげた。
「こないだ六時に起こしたら、六時は犬猫の起床時間だと言って花瓶を投げた! 八時のときは一日のうちでもっともいい加減な時間だと言ってドアノブを壊した!」
「わめかないで! 頭に響く! ・・・・・・いい? 人間が起きるべき時間は五時か九時と決まってる! それ以外ありえないの!」
「でた! ラヴィの意味不明な『時間ルール』! ついてけない!」
 亞リスはそう言うと部屋を出ていった。バタン! と叩きつけられたドアにぶらさがる壊れたノブを見つめているうち、段々と怒りが収まっていく。私はいつも、亞リスをどなりつけてしまってから後悔する。後悔するのに繰り返す。いつも同じ自己嫌悪に苛み、きっかり十分の間をとって、私は亞リスのいるリビングへと向かった。
 いつものように亞リスに詫び、英国の朝ための紅茶、イングリッシュ・ブレックファーストを淹れて着席する。トースターがきつね色のパンをはじき出す。朝食のパンには、バター。お昼のパンは、マーマレード。夜は、木苺。均一にバターを塗ったパンを皿にのせ、亞リスにサーブする。パンをほおばる亞リスの絹ずれは「本当は今、木苺の気分なのに」と不服げだ。
 曇りのロンドン、迷路のような路地裏で亞リスと出会い、彼女の持つ東洋由来の美貌に惚れ込み、珍しい宝石を買い付けるような気持ちで家に迎えてから一週間が過ぎようとしている。
 物思いにふけりながら、なんとなく卓上の電子カレンダーを眺めた私は、ふと妙なことに気付いた。そのとき、八時きっかりにはじまるラジオが今日―――六月一日という日のうんちくを語り始めるのを聞き、私は確信するのだった。
「亞リス、五月はどこ?」
 私は言った。私が眠ったのは四月三十日だ。ならば目覚めるのは五月のはず。六月一日とは何事か。一瞬、私が寝ぼけたのかと思ったが、そんなわけはない。日時に神経質な私が間違うはずがない。窓の外に目をやれば、庭の柘榴に青葉が茂り、オレンジ色の花が咲いている。
「五月は、食べられたのよ」
 と、亞リスが答えた。
 六月一日はイギリスの冒険家がはじめて北磁極に達した記念日である、とラジオが告げる。いわく、北磁極はコンパスの北を辿った果てにある。その点はこれまでじっとしていた試しがなく、時間とともに移動するのだが、どうやらその運動がこのところ急激に加速しており、専門家たちの間で「高緯度で、なにか妙なことが起こっているのだ」と論議されているらしい。
「北の果てに夜のマモノがうまれた。そいつが、いたずらに『時間』を喰うのよ」
 そのマモノは人の夢を餌にしている。そいつを倒すには、うんと、うんと、ひどい悪夢を見るしかないの。亞リスはそう言うとシュガーポットから砂糖を鷲掴みにして紅茶にぶちこみ、
 ジャリ、ジャリ、と音をたてて飲み干した。